仕事を辞めた話


仕事を、辞めた(そうですか)

要約するとそれで終了だけど、数えると六年もいた場所を六文字で終わらせるのはさすがに忍びないような気がしたので久しぶりにブログを書いてみようと思う。自分がここにいたことと、自分がいた場所にいた人たちのことを忘れたくないので残しておきたい。それだけなので暇で無ければ読まなくていいです………

 

 

 

「CDショップで働くこと」が、高校生の頃の小さな夢のひとつだった。好きなバンドの新譜が出ると知ればチャリを飛ばして予約をしに行き、フラゲ日には部活の自主練を放り出してまたチャリを飛ばして通ったCDショップがある。気付いたらそこで働いていて、フラゲ日を楽しみに来た人へ手渡す側になっていた。

 


CDショップに憧れていた理由はきっと好きなアーティストのポップを書いて好きな装飾が出来るから、だったような気がする。それは間違っていなかったけど、思った以上に仕事が多くて大変で、そして割りに合わないことが多い(重要)毎日の商品の入荷処理、販促物の整理、入荷連絡、返品、セールの準備に片付け、書類の発送、予約票の印刷やら商品の発注、レジ、問い合わせの対応、最低限のタスクに追われるだけで一日が終わることの方が多い。そこに毎週でる新譜の展開準備、どこに何を作るとかの展開図を考えて店長に提出して、GOサインが出ればポスターを切り刻んで準備開始になる。

 


こんなことをやっていていつ好きなアーティストのポップを作るのか………………と途方に暮れながら、人に仕事を押し付けて(語弊)空いた五分を少しずつ繋げ合わせてA4一枚のポップが完成する。気合いを入れると一週間以上かかる。

どれだけ時間がなくても、一枚のポップで給料が上がらなくても(当たり前です)、それが一番楽しかった。誰が読んでくれるかとかは分からないけど、画像を切って貼って字を書くことが楽しかった。まだ退職した実感があまりないけど、もうあの楽しさをもう味わえないのかと思うと寂しい気がする。

「これ誰が書いたんですか?」「写真撮っていいですか?」と聞いてもらえたことも何回かあって、それがすごく嬉しかったことも覚えている。メンバーの誕生日ごとに作っていたものを楽しみにしてると言ってくれて、毎回店に来てくれている人もいた。あんな小さく汚い字で詰めて書いてあるのに読んでくれてどうもありがとうございました(届かない想い)

 


(これを読んでくれている人がいたら、たまにCDショップに行くことがあれば少しでも足を止めて、置いてあるポップを読んであげてほしいなと思います………たぶんめちゃくちゃ時間が無い中、そのために何かを削って犠牲にして書いたんだと思うので…知らんけど…)

 

 

 

 


ケーポップをかじっているのが私だけだったのもあって、ケーポップコーナーを好きに改造させたくれた店長にも感謝している。ありがとうございました………私物化した挙句好き放題してすみませんでした………(届かない謝罪)でも私が少年団にハマる前まではケーポップよわよわ店だったけど私の魔改造によって売上成績が上がったのは確かなのでちょっとだけ感謝してほしい(高慢では?)今では立派な稼ぎ頭になり、少年団のカムバが決まると店長は売上を期待してニッコリするようになりました。分かる………

最初の入荷数は店側が希望を出して決定するんですが、その数を並べると少年団がどれだけ売れたかよく分かるので面白い。輸入盤に限った話をすると↓

LOVEYOURSELF 承10枚

LOVEYOURSELF 轉50枚

LOVEYOURSELF 結80枚

MAP OF THE SOUL PERSONA 80枚

こんな感じに膨れ上がっていった。まず輸入盤で10枚を超えることはない&80枚の希望を積むのは少年団とTW……Eぐらいなのでこの数字はすごい(当社比)一枚でも多く売って少年団のポケットマネーを増やす…!というのが私の頑張る理由でもあったので少しでも貢献できたなら良かった。これぐらいしかできなくてすまないとも思っていた。みんなずっとうちで少年団のCDを買ってください、よろしくお願いします………

 

 

 

幸い人間関係に悩まされたこともなく、みんな個性豊かで面白いスタッフばかりだった。みんな好きなアーティストもバラバラで、なぜか王道のJ-POPが好きな人がいない不思議な職場だった。城とガンダムと宇宙が好きでどこからか無名のバンドを引っ張り出してくる店長、オタクのくせに六兆年と一夜物語を知らないメタラーの先輩、ジャニオタと声優オタとソシャカスとバンギャを足して4で割ったフッ軽同僚などがいた(濃くない?)先輩と同僚は私と同じぐらいのゲラでいつも何かと面白いものを見つけてきて延々と笑っていた。仕事がはかどらないのは大体二人のせいだった気がする。ちなみに店長は横山光輝三国志関羽に似ている。「そんなものはない」の顔にめっちゃ似てる。無口だしずっとスカしてるけどたまに素でめちゃくちゃ面白いことをするのでズルい人だった。

みんな自分の好きなものにしか興味がなく、嫌いなものにわざわざ時間を割かない人たちばかりだったから人間関係のいざこざが起きなかったんだと思う。良い意味で人にあまり興味がないみたいだった。よくこんなオタクばっかり集まったなあと思う。こんな類友な職場にはきっともう出会えない気がする。おかげさまで楽しかったです。

 

 

 

お母さんにDVDを買ってもらえなくて泣き叫ぶ子供、恥ずかしそうにアイドルのCDをレジに持ってくる男子高校生、試聴機で踊り狂って出禁になったおじさん、自分が何を買ったかも覚えていないボケ散らかした爺さん、本当にいろんなお客さんがいた。クレーム受けたり話が通じなくてバトったりしたこともあったけど、思い返すと面白い人の方が多かったような気がする。みんな好きなCDや見たい映画を買いにくるんだから当然と言えば当然だ。でも店員に敬語を使えないやつはちゃんと義務教育を通ってから社会に出ような(やめなよ)

 

 

 

CDが売れない時代だとは言っても、必ず毎日なにかを探して買っていく人がいる。確かにストリーミングやダウンロードの方が便利なのは分かるけど、CDはずっとあってほしいなと思う。ジャケットや歌詞カードはCDでしか手に入らないし、CDのシュリンクを破って開ける時のワクワク感はダウンロード出来ないのです……偉い人には分からんのです………

握手会やイベントのために消費されるのは正直悲しくもあるけど、そうでもしないと売れない時代なので仕方がない気もする。でも好きなアーティストが作った作品を手元に残せる媒体として一番いいものだと思うので、これ以上廃れずにあり続けてほしい。CDを買うまで聞かずに我慢して、ようやく買ったバンプのCDのテープを破る瞬間のワクワクとドキドキは、たぶん死ぬまで忘れないし忘れたくないなと思う。

 

 

 

音楽がきっかけで始めた音楽に携わる仕事はやっぱり楽しかった。仕事に追われすぎて心が死んでmagic shopを聞いて泣きながら帰った日もあったけど、次の日にはまた好きな音楽に背中を押されて店に立っていた。勝負だ!と思う日にAgustDを聞いて気合いを入れてロッカーを出たこともあったし、何をするにも近くにあるものは音楽だった。

 


それでもこの業界の給料の少なさは悲しいもので生きていくには厳しくて、「音楽が好き」だけではどうしようもなくなってしまった。悲しいけど卒業するしかなく、店を離れて繁栄を祈ることになった。店長に会った最後の日に挨拶をしたらいつでも戻ってきてと言われた。あの人は感情が読めないターミネーターなのであまりというか全く人を褒めない。たま〜〜に遠回しに、しかも人伝いに展開を褒めてくれることが半年に一回あるかないかぐらい人を褒めない(かといって貶しもしないです)

だから特別必要とされてる気もしなく、代わりがいないからこいつでいいやぐらいに思われてるんだろうと思っていた。だから「どこにも再就職できなかったら戻ってきますwww」って返した時に言われた「その時働いてるスタッフを辞めさせてでも空きを作るからいつでも戻ってきて」で涙腺がぶっ壊れて、ロッカーで三十分くらい泣いた(泣きすぎ)働いてる時に言ってや!そしたらもっと頑張れたわ!とキレながら泣いた。もっと好きって言ってほしかった!と別れ話をするカップルみたいで嫌だった。

 


一ヶ月ぐらいは溜まった有給消化期間なので満を辞してニートを楽しもうと思う。戻れる場所があると思えば楽に転職活動できるよねというあまちゃんな感覚でぼちぼち仕事を探します。ニートに飽きたらしれっと休日出勤してそうで怖い。これ以上好きな仕事といい職場に出会える気はしないけど、そう思えるような場所で働けて本当に良かったと思う。

 


私へ

六年間お疲れさまでした よく頑張った!

私より

 

 

 

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たくさん書いたなあ

(自分では捨てられなかったので、「これを見つけた人は捨ててください」と遺書を残して引き出しの奥に隠してきました)